洗足池周辺の史跡、史跡とまでは行かなくても、ちょっとした所を訪ねて見ます。
各々の写真をクリックすれば、拡大写真が見られます。
洗足池周辺の地図です。写真に番号を振ってあります。地図に、写真に対応する番号を入れてあります。
写真の他、
(12) : 東急池上線洗足池駅
(13) : 桜山
(14) : 水生植物園
(15) : 池月橋
(16) : 広場(仮称)
(17) : 正門
です。
(1) 洗足池は、地名から「千束の大池」と呼ばれていました。日蓮上人が、療養のため常陸の湯に向かう途中、この池を通り、池の傍らの松に袈裟を掛け、池の水で足を洗ったという故事から、洗足池になりました。
その松が「袈裟掛けの松」です。写真の松は、5代目です。6代目も隣に育っています。
(2) 日蓮上人は、さらに池上に向かい、そこで亡くなりました。その地が池上の本門寺です。
袈裟掛けの松のところには、妙福寺が建てられています。
門を入って左に、見事な竹林があります(写真でも少し見えています)。
(3) 池の西北岸には、「千束八幡神社」があります。源頼朝が、石橋山の合戦に敗れ、再起して鎌倉に向かうとき、宿営した地です。ここで味方を集めたことから、「旗揚げ八幡」とも呼ばれています。
(4) この地は、また、「宇治川の先陣」の名馬「池月(いけづき)」発祥の地でもあります。境内に池月の像が建てられています。
この先陣争いの、もう一方の名馬「磨墨(するすみ)」も、少し離れていますが、大田区南馬込3丁目に、「磨墨塚」があります。
(5) 勝海舟は、西郷隆盛と、池上の本門時で江戸城明け渡しの会見を行いました。そのとき立ち寄ったのが縁で、洗足池をこよなく愛し、別荘を建てました。池の東岸で、大森六中の所です。
別荘跡に、立て札が立っています。
(6) 勝海舟の墓は、池の東北岸、奥まった所のあります。
当初は海舟一人の墓でしたが、後に妻たみも合祀されました。
(7) その墓所の隣に、西郷隆盛の留魂祠があり、その中に留魂碑(写真)があります。碑には隆盛が詠んだ漢詩が刻まれています。
留魂碑は、勝海舟が、隆盛の死を悼んで私費で建てたもので、後にここに移されました。
(8) 中之島・弁財天は、長い年月、島とともに池に沈んでいました。昭和になって築島し、再建されしました。
この島には、築島以来住居があり、人が住んでいたそうです。最近弁財天改修のために、家が取り壊しになり、引越したとのことです。
(9) 妙福寺の南側、中原街道からすぐの所に、洗足池図書館があります。
図書館の手前にある大きな木は、「かやのき」です。かやのきは、大木になります。このかやは、有名になるほどの大きさではありませんが、かなりの大木です。
図書館は数年前に建て替えたのですが、このとき、切らずに残したのでしょう。
(10) 池の南岸、中原街道沿いにあるレストランです。
洗足風致協会の経営です。ボートハウスにもなっています。
洗足池は、現在では大田区の所有ですが、元は、協会のものだったようです。